2013年11月4日月曜日

旅の終わりに


かねてより、瀬戸内海を旅してみたいと思っていた。

今回の旅で、大阪の住吉大社に始まり、岡山の宇野から直島、高松へ。その後、金毘羅宮、松山、道後温泉を経て、そこから広島に渡り、最後に厳島神社を訪ねた。

勿論、そこで瀬戸内海は終わりではない。そのまま、下関まで行ってみて、初めて瀬戸内海を横断したと言えるのだろう。残りは次の旅に残して行こう。

この海は、昔から、人間にとっては、恵みの海であり、また通り道でもあった。人々は、いろいろな思いを持って、この海を渡ってきたのだろう。

そうした恵みを、この旅で十分に堪能することができた。この地域に縁のある人々の足跡を訪ね、その思いに心を馳せることができた。

現代においても、瀬戸内海は元気だ。直島などの小島には、世界中から人々が訪れている。

旅は終わったが、この地域への興味は、尽きることはない。というよりも、まだ始まったばかりだ。

一つの旅の終わりは、次の旅の始まりでもある。瀬戸内海を巡る次の旅は、いったいどんな旅になるのだろうか。

厳島神社に刻まれた歴史の記憶

海の上に浮かんだ、厳島神社の長い回廊を抜けると、まだ地上に戻り、見学ルートの終わりとなる。神秘的な神の国から、ふたたび日常の人の世界に帰ってきたような、不思議な感覚に捉われる。


参拝の回廊を抜けてすぐのところに、平清盛の長男、平重盛が自らの手で植えたといわれている松の古木がある。

平重盛は、清盛の長男ではあったが、母の身分が低く、さらに後に妻となった女性の父が、平清盛に対抗した藤原成親だったこともあり、平家の中では微妙な立場にいたといわれる。

その反面、平家物語の中では、父の平清盛の行き過ぎを諫め、統率力に優れるなど、その存在感が大きく描かれている。

重盛は、父の清盛が存命中に、病いで命を落としてしまう。もし、重盛が生きていたら、平家はあれほど早くは滅亡しなかったろうとも言われているが、実際のところは、わからない。


厳島神社のすぐ隣にある天神様の境内の中に、勝海舟と木戸孝允が階段を行った、という部屋があった。

説明板によれば、江戸時代の末期、江戸幕府が第二次長州征伐を行った際に、この部屋で幕府側の勝海舟と、長州側の木戸孝允らが会談を行い、休戦の協定をまとめたとのこと。

長州藩は、毛利元就の子孫がその頃に治めていた藩で、この厳島神社とは、不思議な縁があるようだ。

その天神様のすぐ近くに、宝物館があった。厳島神社の宝物というと、平清盛が奉納した平家納経がよく知られる。

宝物館の中は、狭く、雑然としており、あまり綺麗ではない。展示物の説明なども、かなり昔に書かれたもので、管理は行き届いてはいない印象だ。

平家納経は、貴重なもので厳重な管理が必要なせいか、さすがに本物は展示されておらず、そのコピーが一部展示されていた。

別な場所で、平家納経の本物を見る機会があったが、800年後の現在見ても、実に美しい。この宝物館も、それに相応しいものにしたほうがよい。


フェリー乗り場へは、神社の後をぐるっとまわって向かうことになる。その途上で、後白河法皇が植えた、という松の古木があった。

この後白河法皇という人物は、とても興味深い人物。平安時代の末期、貴族の時代から武士の時代に移る時代の転換期に、天皇や法皇として、勃興した武士勢力と時に協力し、時に対抗しながら、天皇家の存続を模索した。

若い頃は、今様という芸能にはまり、とても政治を行える素質はない、と周囲は思っていたという。しかし、いざしかるべき地位に就くと、源頼朝から”大天狗”といわれるのほどの政治力を発揮して、天皇家を時代の荒波から守り抜いた。

平清盛が勢力を握った際も、当初はそれに逆らわず、清盛とよい関係を築いた。1174年には、この厳島神社にも行幸している。

すでに後白河法皇は、天皇ではなかったが、それでも法皇が都を離れて、これほど遠くの地に移動するのは前代未聞のことだった。


フェリー乗り場に向かう帰り道。この日もとても暑く、多くの鹿たちが、地面にぺたりとなって、可愛い寝顔を見せていた。

鹿は神の使いとされ、厳島神社の他では、奈良の春日大社も鹿に縁の深い神社として知られている。

鹿は、日本のみならず、世界中に生息する。中国では、仙人が鹿に乗っている姿がよく描かれる。ヨーロッパでも、ギリシャ神話に鹿が登場する。


突然、観光客の前に、小さな子鹿が現れた。

多くの人が集まり、キャーキャーという歓声を上げ、カメラを子鹿に向けた。

子鹿はしばらく草などをついばんでいたが、しばらくすると、森の奥の方に合っとう間に走り去ってしまった。


宮島を離れることには、潮も満ちてきて、島に着いたときはまだ海の底が見えていた鳥居の辺りも、すっかり海の水に取り囲まれていた。

午後になると、海の上に浮かぶ厳島神社を見ることができる。

私の瀬戸内紀行も、この厳島神社で終わりを迎えた。

厳島神社を作った権力者たち

厳島神社は、世界遺産に登録されている。日曜日ということもあって、沢山の人が訪れていた。


厳島神社は、古くは、伊都伎嶋神社、と別な文字で書かれていたようで、今の広島県の辺りであった安芸の国の一宮でもあった。

平安時代に末期に突如として権力を握った平清盛が、この神社を厚く信仰し、今の境内の元になっている、壮大な境内を建て、奉納した。

清盛が建てた当時の境内は、1207年、1223年の2度の火災ですべて失われてしまい、現在の境内は、その後に再建されたもの。


厳島神社の魅力の一つは、境内の構造が複雑なため、歩く度に、建物の見え方が徐々に変化していくことにある。写真好きの人にとっては、撮影ポイントがあちらこちらにあって、楽しめる。


この日は、お日柄もよく、結婚式が行われていた。多くの観光客が、その結婚式を見物していた。

厳島神社は、宗像三女神という3人の女神を祀っている。この宗像三女神は、総本社の福岡の宗像神社で、海の神、船の航行の神として祀られている。

厳島神社の名前は、その宗像三女神の3番目の市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)からとられている。



毛利元就は、戦国時代の1555年、陶晴賢率いる大内軍の大軍をこの宮島の狭い土地に誘い込み、圧倒的な勝利を得て、中国地方の覇者となった。

大内家は、古代朝鮮の百済の聖明王の子孫であると名乗り、平安時代から周防の地の役人を務めていた。

鎌倉時代には、周防の地を支配する家となり、朝鮮半島とも交易を行っていた。聖明王の子孫と名乗ったのは、その交易の便のためだったのかもしれない。

室町時代には、有力な守護大名となり、明や朝鮮との交易で莫大な富を得た。有名な画家の雪舟は、大内氏の招きで周防の地で長く活躍し、その大内氏の強力で明の国に渡っている。

そうした大内氏が、新興の毛利氏に滅ぼされた、ということは、戦国時代を象徴する出来事だった。そこには、平安貴族の時代の終わりをもたらした、平清盛の姿に重なるものがある。

元就は、その勝利にはこの厳島神社の力が大きく働いていたと考え、その後、この神社を深く信仰するようになった。現在の本殿は、1571年に毛利元就によって改築されたものである。

この厳島神社は、そうした時代の変化をもたらした権力者によって支えられてきたという、不思議な由縁を持っている。


本殿の右側、参拝路の最後の方に、能舞台がある。この時は、潮がまだ来ていないが、潮が満ちると、この舞台は、日本で唯一、海の上に浮かぶ能楽堂になる。

現在の能舞台は、江戸時代に安芸の国の藩主であった浅野氏が1680年に建てたもの。それ以前には、その前の藩主だった福島正則が建てた能舞台があった。


本殿の後から、海の上に建てられた鳥居が見える。この神社は、この海の上で繰り広げられた、様々な歴史絵巻を、ずっと見続けてきたのだろう。

厳島神社へ向かう

いよいよ、瀬戸内海を巡る旅も最後の5日目となった。

旅の最後は、朝から、世界遺産でもある厳島神社に向かった。


厳島神社のある宮島は、完全に独立した島になっており、本州側からフェリーに乗っていく。

フェリーは、JR系のものと松大汽船の2社がある。JR系のフェリーは、広島からのJRの切符に代金が含まれているため、ほとんどの人は、JR系のフェリーで向かっているようだ。


次第に、厳島神社の赤い鳥居が見えてくる。その背景にある弥山の緑と、赤の対比が美しい。

フェリーに乗っている多くの人が、鳥居の見える側のデッキに上がり、島をバックに、記念写真などを撮影していた。

厳島神社のある宮島は、古くから神が住む島として、人々の信仰を集めていた。

標高535メートルの弥山は、空海が開山したという伝説がある。これは事実とは違うようだが、山麓からは、古墳時代の石器が見つかっており、この山を神として祀っていた跡といわれている。


朝10時くらいだったので、ちょうど、潮が満ちてくる時間で、鳥居の近くまで近寄っていや人々が、海の水に急かされて、岸に戻る様子が見えた。


フェリーで島に向かう途中、所々に、牡蠣の養殖の施設が見えた。島のあちこちで、こうした牡蠣を焼いて売っているのを見かけた。


フェリーを降りて、厳島神社に向かう。神社に向かう観光客を鹿が出迎える。すっかり人になれているようで、後から近づいて、エサをねだっている。

鹿と言えば、奈良公園にも鹿がいる。奈良公園の鹿は、かなり強引に人にエサをねだることで知られている。エサでなくても、人が持っている紙やガイドブックを食べようとしたりする。

この厳島神社の鹿は、そこまでお行儀は悪くないようで、人にエサをねだるにも、そのまでの強引さはない。


フェリーを降りてから、右手に海を見ながら参道を進む。15分ほど歩くと、厳島神社の入り口に到着した。