2013年11月4日月曜日

厳島神社に刻まれた歴史の記憶

海の上に浮かんだ、厳島神社の長い回廊を抜けると、まだ地上に戻り、見学ルートの終わりとなる。神秘的な神の国から、ふたたび日常の人の世界に帰ってきたような、不思議な感覚に捉われる。


参拝の回廊を抜けてすぐのところに、平清盛の長男、平重盛が自らの手で植えたといわれている松の古木がある。

平重盛は、清盛の長男ではあったが、母の身分が低く、さらに後に妻となった女性の父が、平清盛に対抗した藤原成親だったこともあり、平家の中では微妙な立場にいたといわれる。

その反面、平家物語の中では、父の平清盛の行き過ぎを諫め、統率力に優れるなど、その存在感が大きく描かれている。

重盛は、父の清盛が存命中に、病いで命を落としてしまう。もし、重盛が生きていたら、平家はあれほど早くは滅亡しなかったろうとも言われているが、実際のところは、わからない。


厳島神社のすぐ隣にある天神様の境内の中に、勝海舟と木戸孝允が階段を行った、という部屋があった。

説明板によれば、江戸時代の末期、江戸幕府が第二次長州征伐を行った際に、この部屋で幕府側の勝海舟と、長州側の木戸孝允らが会談を行い、休戦の協定をまとめたとのこと。

長州藩は、毛利元就の子孫がその頃に治めていた藩で、この厳島神社とは、不思議な縁があるようだ。

その天神様のすぐ近くに、宝物館があった。厳島神社の宝物というと、平清盛が奉納した平家納経がよく知られる。

宝物館の中は、狭く、雑然としており、あまり綺麗ではない。展示物の説明なども、かなり昔に書かれたもので、管理は行き届いてはいない印象だ。

平家納経は、貴重なもので厳重な管理が必要なせいか、さすがに本物は展示されておらず、そのコピーが一部展示されていた。

別な場所で、平家納経の本物を見る機会があったが、800年後の現在見ても、実に美しい。この宝物館も、それに相応しいものにしたほうがよい。


フェリー乗り場へは、神社の後をぐるっとまわって向かうことになる。その途上で、後白河法皇が植えた、という松の古木があった。

この後白河法皇という人物は、とても興味深い人物。平安時代の末期、貴族の時代から武士の時代に移る時代の転換期に、天皇や法皇として、勃興した武士勢力と時に協力し、時に対抗しながら、天皇家の存続を模索した。

若い頃は、今様という芸能にはまり、とても政治を行える素質はない、と周囲は思っていたという。しかし、いざしかるべき地位に就くと、源頼朝から”大天狗”といわれるのほどの政治力を発揮して、天皇家を時代の荒波から守り抜いた。

平清盛が勢力を握った際も、当初はそれに逆らわず、清盛とよい関係を築いた。1174年には、この厳島神社にも行幸している。

すでに後白河法皇は、天皇ではなかったが、それでも法皇が都を離れて、これほど遠くの地に移動するのは前代未聞のことだった。


フェリー乗り場に向かう帰り道。この日もとても暑く、多くの鹿たちが、地面にぺたりとなって、可愛い寝顔を見せていた。

鹿は神の使いとされ、厳島神社の他では、奈良の春日大社も鹿に縁の深い神社として知られている。

鹿は、日本のみならず、世界中に生息する。中国では、仙人が鹿に乗っている姿がよく描かれる。ヨーロッパでも、ギリシャ神話に鹿が登場する。


突然、観光客の前に、小さな子鹿が現れた。

多くの人が集まり、キャーキャーという歓声を上げ、カメラを子鹿に向けた。

子鹿はしばらく草などをついばんでいたが、しばらくすると、森の奥の方に合っとう間に走り去ってしまった。


宮島を離れることには、潮も満ちてきて、島に着いたときはまだ海の底が見えていた鳥居の辺りも、すっかり海の水に取り囲まれていた。

午後になると、海の上に浮かぶ厳島神社を見ることができる。

私の瀬戸内紀行も、この厳島神社で終わりを迎えた。

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