旅の4日目は、午後、松山観光港から高速フェリーで広島に渡った。2日目の、直島を経由した宇野港から高松港への移動に続き、この旅で2回目の船の旅。
松山駅前から港まではリムジンバスが運行しており、30分ほどで港に到着する。
港のターミナルビルは、こじんまりとはしているが、新しくガラスが多く使われた美しい建物だった。
松山観光港から広島港までは、スーパージェットとよばれる高速フェリーで、およそ1時間ほど。途中、呉港に寄る。
この日は日曜日だったが、さすがにフェリーで移動する人は少ないようで、船内に人影はまばら。そのおかげで、ゆったりとした船旅が楽しめた。
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
かつて、額田女王がこの歌を詠んだという、熟田津の正確な場所は特定されていないが、この松山周辺の港だったという。
大和朝廷の斉明天皇率いる軍勢が、唐と新羅の連合軍と戦った白村江の戦いに向かうために、一時、この辺りに立ち寄ったという。上の歌は、その際に詠まれたものだ。
その時、斉明天皇一行は、松山の道後温泉に立ち寄った、と伊予国風土記の断片は伝えている。
時代が下り、夏目漱石が、松山の中学校に赴任するために降り立ったのは、松山観光港より少し南にある三津浜港だった。
いずれにしろ、このあたりには、多くの港があり、海からそれほど遠くない所に道後温泉もある、といったよい環境で、古くから、人々が暮らしやすい土地だったのだろう。
呉港に近づくと、音戸の瀬戸というところで、本州と倉橋島の狭い海峡の間を抜けていく。2本の橋が架かっているが、泳いで渡れそうな距離だ。
この海峡は、平清盛が、わずか一日で開削した、という伝説が残っている。
このすぐ向こう側にある、呉港への出入りには確かに便利だ。この海峡がないと、瀬戸内海に出るには、広島の方を迂回しなければならない。
音戸の瀬戸を抜けると、呉港が近づきコンビナートのようなものが見えてきた。
この地は、戦国時代は、村上水軍の本拠地であり、明治以降は日本最大の軍港となった。戦艦大和が建造された場所としても知られる。第2次大戦時には、40万人の人が暮らし、日本で10番目の大きい都市であった。現在も、海上自衛隊の呉地方隊が置かれている。
松山観光港かたいっしょに乗り込んだフェリーの乗客の中に、角刈りで大柄の数人の集団がいた。始めはよくわからなかったが、大挙してこの呉港で下船していった。彼らは自衛隊員だったのだ。
皆、大きなスポーツバッグを担いでいた。どこかで休暇を過ごしていたのか、あるいは、単なる移動だったのか。
呉港を出ると、すぐに広島港についた。
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