それは、広島の原爆ドームと広島平和記念資料館。
今回の旅の中で、ようやく、その場所を訪れることができた。
原爆ドームは、ちょうど補強工事を行っていた。原爆が投下されてから、すでに68年。原爆の影響を象徴するこの建物も、老朽化が進んでいる。
しかし、この建物は、これからも残していかなければならない、大切な遺産だ。
建物の近くに寄ると、内部の様子もよくわかる。原爆が落とされたときの、凄まじい高温と爆風に絶えた建物だけに、実に堅牢に設計され、建てられたことが伺える。
原爆ドームを後にして、元安川にかかる橋を渡ると、広島平和記念公園に入る。
この日、朝は晴れていたが、突然に黒い雲が広がり、雨粒が落ちてきた。
この公園のある土地は、もともとは人々が暮らす住宅地だったが、原爆によって焼け野原になってしまった。
その跡地が、1954年4月1日に広島平和記念公園として開演した。公園全体の設計は、コンペにより選ばれた丹下健三が担当している。
平和の記念碑であると同時に、そのシンプルでかつ厳かな佇まいは、日本の現代建築の大きな成果でもある。
公園の中に、広島平和記念資料館がある。入場料はわずか50円。勿論、営利目的の施設ではない。原爆とはどんなものか、それによって、広島という町が、どのようになってしまったのか、を一人でも多くの人々に見て欲しい、というのが、その50円という金額の意味である。
その趣旨は、多くの人々の心に伝わっているようで、館内は、実に多くの人でごった返していた。
1945年8月6日午前8時15分。人類の科学技術の進歩の成果でもあったその爆弾は、広島の爆心地の上空600メートルで炸裂。その炸裂時に中心の温度は100万度を超えていた。
爆心地の周辺は、ほぼ同時に3000〜4000度の熱に包まれた。その瞬間にその地域にいた人々は、文字通り一瞬の内に、何も残さずに、骨まで燃え尽きてしまった。
この爆弾の実験は、何度も、念密に行われ、この爆弾を使用した人々は、この爆弾が爆発した際に、どのようなことが起こるかを正確に理解していた。
この場合、アメリカとか日本とか、そうした些細なことには、何の意味もないだろう。
人間とは一体どんな生き物であるのか、ともし問われたら、この1つの爆弾に関する物語を語ることで、その答えになるのではないか。
原爆が広島に落とされた時、広島には、およそ35万人の人がいたといわれている。同じ年の12月末までに、そのうち、14万人が死亡したという。
そうした人々に、私は合掌することしかできない。
人間という生き物には、わずかながらの学習機能があるようで、幸いなことに、広島・長崎以降、原子爆弾を受けた都市はない。
これからもそうであるという保証は何もない。むしろ、その可能性は、より高まっているのかもしれない。
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