瀬戸内を巡る旅の3日目。
讃岐の金毘羅宮への参拝を終えて、JR琴平駅から、途中、多度津で乗り換えて、予讃線で松山に向かう。
予讃線は、瀬戸内海を右に見て、海沿いを走る。窓際の席に座り、始めはのんびりと外を眺めていたが、700段を越える石段を往復した疲れが出たのか、途中から眠りに落ちてしまった。終点の松山が近づいたことを告げるアナウンスで、ようやく目が覚めた。
JR松山駅から、京の宿、道後温泉への路面電車に乗り換える。
この日、松山は30度を超える猛暑で、路面電車の駅のマスコットのネコも、さすがにダウン。ぐったりしながらも、観光客を出迎えてくれた。
路面電車で、JR松山駅から道後温泉駅までは20分ほど。道後温泉駅の駅舎は、大正ロマンといった趣のある建物。
駅前の商店街を真っすぐに進み、右に曲がると、その突き当たりに、道後温泉のシンボルともいえる、道後温泉本館が現れた。
明治27年(1894年)に建てられ、夏目漱石も『坊ちゃん』の中で登場させている。
今も共同浴場として使われており、3種類あるコースを選んで、400円から1,500円の料金を払えば、誰でも歴史ある建物の雰囲気を味わうことができる。
最初は入ろうと思っていたが、あまりの行列の長さに断念。自分の旅館の温泉で我慢することにした。
道後温泉の歴史は古い。伝説では、この地に住んでいた人々が、怪我をした白鷺が、岩から湧き出た湯に足をひたし、怪我が治るのを見て、温泉に効用があることに気がついたという。
道後温泉本館の左手の所に、玉の石、という丸い石が置かれていた。これは、古事記にも登場する、大国主命と少彦名命が、出雲から伊予の地を訪れ、急病の少彦名命がこの地の温泉で回復した際に、喜んでこの石の上で踊った、とされる石とのこと。
聖徳太子がこの地を訪れたということが、伊予国風土記の逸文に書かれている。
また、天智天皇が白村江の戦いに向かう際に、この地に日本・百済連合軍を終結させたという。
道後温泉の温泉街には、沢山の店が建ち並び、活気があった。
今治タオルの店、砥部焼の店、伊予柑から作られたジュースやゼリーを売っている店が、特に印象的だった。
砥部焼は、白い生地に、澄みきった青空のような、あるいは瀬戸内の海のような、鮮やかな青で、味のあるシンプルな文様が描かれている。
派手さはないが、毎日使う器などが、こんなものだったら、穏やかな毎日を過ごせそうだ。
この商店街のある辺りには、かつては、温泉旅館が軒を連ねていた。観光客が増えるにつれ、手狭になり、ほとんどの旅館が、周辺に移転してしまった。
しかし、最近は、逆に観光客も減り、旅館の数も減少しているという。
これまでに、数多くの温泉地を訪れてきたが、この道後温泉は、もっとも印象が良い温泉地だった。
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