金毘羅宮への参拝を終え、もときた785段の石段を下りる。
さすがに小腹が減ったので、参道の入り口にあった、古そうな讃岐うどんの店に入った。
とらや、という名のこの店は、創業300百年、江戸時代からあり、元は旅館だったが、参拝者の要望で、うどん屋をはじめたらしい。
店内の雰囲気も古めかしくて、とてもいい。
うどんは、こしのある、これぞ讃岐うどんという感じだった。
記録残っている讃岐うどんの店は、江戸時代の金毘羅宮の祭を描いた屏風に描かれている、参道のうどんやだったという。もしかしたら、この店もそこに描かれているのかもしれない。
讃岐うどんが他県に知られるようになったのは、以外にも、1970年以降というごく最近だった。その後は、うどんといえば、讃岐、というくらいに有名になった。
高松からは、ことでんで琴平まできたが、今度は、松山に向かうため、JRの琴平駅を利用した。ホームの屋根を見ると、金毘羅宮にかけて、丸金の文字があった。
琴平駅から、多度津に出て、そこで乗り換えて、松山を目指す。
途中、空海の生まれ故郷といわれる善通寺を通った。できれば、善通寺駅で下車し、善通寺も参拝したかったが、炎天下の金毘羅宮参拝でへとへとだったのと、時間の関係から、残念ながら参拝は断念した。
空海は、佐伯氏という、この地を収めていた郡司の家に生まれ、その後平城京の大学に進んだ後、遣唐使で唐に渡るまでは、四国などの山野で、修行を重ねていた。
その修行で身につけた不思議な力は、やがて唐で出会った密教によって体系化されることになる。日本に戻った後の活躍は、広く知られている。
佐伯氏は、蝦夷征服の際に連れてこられた、蝦夷の一族だという言い伝えが残っている。真実は定かではないが、空海の、古代の蝦夷の人々の血が流れていた、と考えると、実に興味深い。
四国八十八ヶ所巡りは、空海の修行を追体験する旅でもある。四国のそこかしこには、空海の面影がまだ残っている。
多度津で電車を乗り換え、松山に向かう途中、瀬戸内海に突き出た神社を見つけた。
津島神社という名前のその神社は、毎年8月上旬の2日間に夏の大祭が開かれ、入り口にある津島の宮駅は、1年にその2日だけ営業を行う。
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