駅からは、10分くらいで金比羅宮の入り口に着いた。
参道の両脇には、讃岐うどんの店、お土産物を売る店、アイスクリームを売る店など、沢山の店が並んでいる。
そこを少し歩くと、本宮まで続く長い785段の石段の最初の石段が表れた。いよいよ、ここから参拝が始まる。
しばらくいくと、いきなり急な石段が表れた。その左側に、なにやら古そうな建物が。
これは、重要有形民俗文化財になっている灯明堂というもので、安政5年(1853年)に備後国の因之島の人々によって、船の下梁を利用して建てられたという。
金比羅宮は、海の航行の安全を守る神様だったので、そうした人々からの寄進が多かった。
急な石段を上がると、大門が見えてきた。この門は、金比羅宮の神域への入り口を意味する。
その大門のすぐ下に、宝永7年(1710年)に作られた鼓楼が建っている。この鼓楼を建てた時、一つの塚が発見された。その塚は、清少納言の塚と考えられ、それを表す石碑が建てられた。
清少納言は、晩年に四国に渡り老後の生活を送ったといわれ、その際に、この金比羅宮に参拝したという言い伝えが残っている。
大門をくぐると、5つの白い大きな笠が目に入ってきた。よくみると、お菓子のようなものを売っている。
これは、五人百姓といい、金比羅宮の中で飴を得ることを、特別に許されているという。
日本中世史の網野善彦が、百姓はかならずしも、農民を表しているのではない、と言っていたことが思い浮かぶ。
大門の先しばらくは、石段はなく、平坦な道が続き、思わずほっとする。
ここは、桜馬場といい、文字通り、両脇に沢山の桜の樹が並んでいる。真夏だったので、その緑が参拝者の疲れた心に安らぎを与える。
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